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2007年7月19日 (木)

アラビア語講座

 遊びの話しばかりもなんなので、ちょっと仕事のお話。(笑)

 色々な雑誌の取材協力をしてきましたが、今回はNHKラジオ・アラビア語講座テキスト(7月18日発売)にDscn3918 料理レシピを載せています。丸一日がかりの取材でお休みが一日消えました。でも、こうした専門的な本で取り上げられるのは嬉しいものです。

Dscn3919  アラブに30年前から関わってきたものの、言葉を話せる訳でもないし、住んだ事もないので偉そうな事は言えないんですよねえ。よくアラブ人のお客様に「言葉を話せなくて料理をどうして覚えた!?」と言われるのですが、実は北アフリカもレバノンもフランス語が通じるんですよ。

 フランスには北アフリカに限らずアラブ料理の本や店が一杯ありますし、言葉に不自由した事がありませんでした。でも、最近、マグレブ(北アフリカ)ではないアラブに興味があって、やはり言葉を習わなくてはいけないと思うようになりました。英語が通じるとは言っても地元の人と仲良くなるには、やはりアラビア語を話さなくてはいけません。この講座をみっちりすれば、日常会話くらいはなんとかなりそうです。CDも買いました。これを機に50の手習い。本気でやってみます(笑)

Dscn3920  あ!レシピはホンモス(ヒヨコマメのディップ)、ババガヌージュ(焼きナスのディップ)、タッブーレ(パセリのサラダ)、フブス(アラビアパン)の作り方です。アラブ料理のマッザ(前菜)で三種の神器とでも呼べる代表的なものです。

 来年初頭、エジプトとヨルダンに行きたいと画策しています。それまでに片言は話せるようにします。ああ言っちゃった~どうなりますやら・・・

2007年7月 2日 (月)

18年目に!

 7月7日はカルタゴの誕生日です。1990年からですから17年頑張りました。店も色々改造してきたのですが、根本的な躯体がシェフと同じくガタがきております。大々的に改装してもペイしないだろうなあ。

 話は全然変わって青森に帰省した話です。P6170085

 両親は、以前、十和田市に住んでいましたが、体のこともあり、僕の姉の嫁ぎ先の青森市に移りました。ですから帰省も青森市へ。なんか田舎へ帰った気がしませんでした。でも長男の僕が面倒見ないで、そんな勝手な事は言えません。姉には感謝の気持ちでいっぱいなんですよ。でもなんで故郷に帰った気がしないのか、帰りの電車の中で見た八甲田で納得しました。十和田から見た八甲田山のシルエットが僕にとって帰省したとP6170084 いう実感を持たせるものだったということです。青森市から見た八甲田は見慣れない形だったからなんです。まんずまんずえがったなあ。

P6170080  それにしても青森駅で見る電車の色のケバイこと!デザイナーがガンダム世代だからかなあ(笑)この電車!僕には、昔、流行ったアメリカンクラッカーに見えました。

 なんか「あずましぐねえ」(落ち着かないの意)そう思ってたら反対ホームP6160038 P6160036 に「日本海」の寝台列車があ~そうそう、やはり青森駅にはこれですよ~ 「ん!?」先頭がDE10?まさかこいつが大阪まで引っ張るの~入れ替えだと信じたい。昔の長距離はDD51と相場が決まっていたもんですけど・・・なくなっちゃたしなあ。

P6160039  その青森駅で見かけた柱にリンゴ!カルタゴのママ・・・つまり僕の細君に持ったふりをしてもらいました。「なんだろう???」思わず駅員さんを捉まえて「いそがしいどご、もうしわげねえけどさ、このリンゴっこ!ナンだべ」と質問。答えは連絡用電話の格納ボックス。「いやあ~ていしたもんだなあ~」感心しきりでした。久しぶりに書いたブログが、とめどもない話にP6160040 なりました。

 ふるさとは遠きにありて思うもの

 ふるさとの山はありがたきかな・・・・(P6160041宮沢賢治だったかな?)

 

2007年5月18日 (金)

分煙化のお願い

 カルタゴもついに分煙化することにいたしました。中東では喫煙者が多く

シーシャ(水タバコ)も伝統にあり、踏み切ることを躊躇していました。

 多くの喫煙者の方々が肩身の狭い思いをされているのも知っていますが、

食事中の喫煙は我慢していただくようお願いいたします。

 カルタゴはご家族連れ、妊婦さんまでいらっしゃるので、何卒、ご理解、

ご協力をお願いいたします。レストランの奥に喫煙所を設けましたので

そちらをご利用くださいませ。

2007年1月21日 (日)

アラク入荷!

Dscn3092 アラク、中東を知らない人には聞きなれない言葉ですが、このお酒とルーツが同じものは地中海各国にあります。フランスでは薬草をもっと入れたパスチス、リカール、これと同種の酒は、日本にも古くから伝えられていて、アブサンって呼ばれていました。アブサンについては、ちょっと色々誤解があるのですが、ここでは割愛しますね。ギリシャはウゾ、トルコはラクといいます。イタリアやスペインにもあります。

葡萄とかプルーンとかナツメヤシの実とか、原料が違ったりしますが、アニスというスパイスを中心に香草で香り付けしてあります。水で割ると白濁するのが特徴です。アルコール度数は40度前後ですが、基本的に水で割って飲みます。

この種の酒を最初に飲んだのは’70年代のパリでした。ジャン・ギャバンの映画で憧れの飲み物でした。彼よろしくジタン・マイス(フランスの両切りタバコ、とうもろこしを原料にした紙で巻いてあって黄色)を口元に咥えて、アールヌーボーのデコが綺麗なモンパルナスのカフェのカウンターで「アン・パスチス」としゃがれた低い声で言い放ちました。ギャルソンやマダム達は大笑い。傍のムッシュゥーは「ジャンギャバンか」(欧米か!と同じノリ)と言いながら奢ってくれたんです。その年、彼が亡くなり、シャンゼリーゼを行進する国葬になるとは・・・

それからサンミッシェル界隈のギリシャ料理店でウゾにハマります。マツヤニの香りのついたワイン・レッチーナがお供でした。そしてトルコに旅行に行き、ラクを知ります。パスチス>ウゾ>ラクとすっきり辛口になっていくので、ラクにゾッコンでした。(基本的に辛口が好み)世の中には上には上があるもので、キリスト教徒のシリア系アラブ人の家でアラクと出会います。これが更に辛口でした。モスクワで飲んだウォットカと並んで好きなお酒になりました。

アニスで香り付けしてあるのでクセがあり、誰でも好きなお酒ではありませんが、慣れると病みつきです。このお酒が日本で入手出来るようになりました。涙、涙です。帰国してから四半世紀経った勘定になります。飲んだ瞬間、パラソルの下で地中海を見ながら寝そべっていた若い頃の自分が、フィードバックして、ウルウルしてしまいました。

写真は夕べ飲んだレバノン産のアラクです。KSARA(ワインが有名)という所で作っているので、KSARAK<おい!オヤジギャグかよ!この手の商品名、日本以外にもあるんですねえ。(m._.m)

2007年1月11日 (木)

おすすめ料理

File0003111 おすすめ料理を作りました。最初は、以前もおすすめにして、好評だった Yogurtlu kebap ヨーグルト・ケバップです。トルコ料理で、ケバップとは言っても仔羊のシチューなんです。土鍋の底にパンを敷き、数時間煮込んだラム・シチューをのせ、ヨーグルトをかけます。オリーブオイルでソテーしたナスをかぶせてトマト、青唐辛子を並べ、オーブンで数十分焼きます。とろける様な絶妙なハーモニー、いかにもトルコという一品です。(¥1,900)

Dscn3076a もう一つは、ミイラ展協賛のファラオの夢・コースのメインのモロヘイヤです。こんがりと焼いたチキンとバターライスに、ドロドロのモロヘイヤスープをかけて食べます。好みで酸っぱいタマネギやトマトを薬味として使います。日本の「山かけご飯」のような一品。こちらは、勿論、エジプト料理です。(¥2,200)

20061016_270 20061016_268 お客様の「単品にしてくれ~」という強い要望があって、今回、おすすめに加えました。カルタゴのスープは普通700円で、ガーリックチキンが1,600円ですから、お得になっています。写真は、ウチのママが昨年、エジプトに行った時に食べたモロヘイヤです。カイロの高級レストラン「アラベスク」のものです。上の写真が僕が作ったもの。量は違いますが、味は現地と変わらないと、エジプトに住んだ方やエジプト人に絶賛されました。

お早めに!どうぞ!(笑)

2007年1月 8日 (月)

アルジェリアのクスクス

今月のおすすめ料理に、アルジェリアのクスクスを作りました。普段はチュニジア式です。パリで最初に食べたクスクスがアルジェリア式のものでした。Dscn3069a

知らない方には同じように見えるんですが、味が全く違います。クスクス・スムールも細粒(チュニジア式は中粒)なので食感も違うんです。ソースもサラサラしてて辛くないんです。チュニジアと違って、ソースをドバドバとかけて食べます。オジヤ感覚かな。ズッキーニを入れるのも特徴です。モロッコになるとカボチャ入れたりします。カボチャとズッキーニは植物学的には同じ仲間ですからね。

今年は色々とおすすめ料理を作るつもりです。本年もよろしくお願いいたします。

2006年8月 6日 (日)

なんといい加減な・・・

僕は三十年前からチュニジア料理や北アフリカ料理と関わってきました。最近、日本でも北アフリカ料理が少しずつ知られるようになりました。すごく嬉しい事です。その反面、いい加減な情報も横行しています。 おそらく日本に居る向こうの人(多くは男性)に聞いたんでしょうね。アラブでも北アフリカでも「男子厨房に入らず」が普通で、仕事でしていた人(ごく稀です)でもない限り、まず、料理については知らないと思った方がいいでしょう。

料理○国という有名な雑誌に「ハリッサはモロッコのもの・・・」などという記述がありました。なんといい加減な。モロッコ人は基本的に辛いものが苦手です。そんな国で唐辛子ペーストが生まれる訳がありません。ハリッサはチュニジアのカップボン(岬の名前)がオリジナルです。モロッコ人と違ってチュニジア人は辛いのが大好きです。パリで普通にハリッサ(フランスではアリッサ)があるので、モロッコ製のハリッサも作られるようになりましたが、ソフィスケートされたものです。

きっと向こうの人に聞いたんでしょうね。絶対に知らないと言わないし「そうそう、うちがオリジナルだよ」と言うに決まってるんです(笑)アラブ人、北アフリカ人、地中海人の国民性(?)を知らないで聞いたことを信じて書くと、痛い目にあいますよ。編集者さん!フードコーディネーターさん!

2006年7月23日 (日)

美味!パレスチナの味

Dscn2546 なんとパレスチナのタイベビールが新入荷!数がないことと、元々高いビールなので、カルタゴ売りで800円です。このビールは、パレスチナのキリスト教徒が作ったものです。ゴールデンとダークがあります。

タイベとは村の名前で、エルサレム郊外、地中海やヨルダン渓谷を望む高台にあります。聖書にエフライムという名前で登場し、イエスキリスト最後の隠遁の地として知られています。12世紀頃、イスラム指導者サラディンが村人をタイベン(善良な人々の意)と呼び、現在の名前に変わりました。

ビール自体の歴史は新しく、1994年にタイベ村のコウリー家が作り始めました。ババリア産のホップ、ベルギー産の麦芽など最高級の素材を贅沢に使い、地元、サマリア山を源泉とする聖地の湧水で醸した上面発酵ビールです。飲み口はスッキリして咽越しも良く、美味しいビールです。

ビールと同じくして入ってきたのが、パレスチナのザータル(タイムの一種)。アラブ人が朝食でパンにつけDscn2548a て食べるミックスハーブです。殺菌力があり、抗がん性を持つとされ、記憶力も助けると、現地では試験前にも食べるそうです。パレスチナのオリーブオイルとクリームチーズ(またはヨーグルト)と混ぜながらパンで食べると、爽やかな香りが広がります。パン付きで400円です。オリーブオイルは戦火で存続の危機に瀕しているオリーブの木から採ったもの。樹齢千年以上と言われています。オリーブの樹木は人間の愚かさを嘆いているのかもしれません。

歴史あるパレスチナの味を是非、ご賞味ください。そして、かの地に平和が訪れることを祈ってください。

2006年7月14日 (金)

カルタゴ・ストーリー-2

File0001a オープンして間もない頃のお店の入り口です。現在を知ってる方は驚くと思いますが、営業しながら僕が内装を作っていたんです。写真は今でも大事なお客様のナオムさんとミカエル!彼は高校生になりました!!File0002a

奥の部屋はこんな感じでした。この頃はベリーダンスもしていました。従業員もたくさんいたのです。従業員たちと社員旅行で南の島にも行ったのです。今、思うとバブリーですね(笑)File0004a

File0003a そんなカルタゴが落ち着いてきたのは、僕がチュニジアとパリFile0006a を再訪してからです。チュニジアでは、友人のカメルの家で彼のママから料理を教わりました。パリではトルコレストランで色々勉強しました。エズメサラタスという今でも人気のメニューは、このレストランで学んだものです。File0007a

若いというのは無謀なものですね。こうして昔の写真を見ると、色々と、がむしゃらに頑張って居た事を思い出します。

ひとつひとつの経験が身になるかは、その人のキャパ次第だと思うのです。何を求めているかという事ですね。今回は「思い出の写真集」(笑)でした。

2006年7月 7日 (金)

カルタゴ・ストーリー-1

 <珍しいシェフの毒舌&本音を聞いてください>

 7月7日は七夕ですが、僕にとってはもうひとつの記念日です。カルタゴが16年前にオープンした日なんです。17年目に突入です!自分には子供が居ないので、店を子供のように思ってきました。もう、親離れする頃かもしれませんね。35歳で始めて、当然ながら52歳になったんです。感慨ひとしお・・・・

 カルタゴがオープンした1990年はバブルも終わろうとする頃でした。世の中が何か騒然とした感じだったんです。こんな特殊な料理なので、最初は日本人の方々に理解されないと思っていました。外にも看板にも日本語がありませんでした。それを理解される方がお客様になると思ったのです。

 今では信じられないのですが、オリーブオイルや羊肉への偏見と言葉が、公然とまかり通っていました。ご予約の電話をくださった方が「羊肉が中心なの?臭いから嫌い」とよく言われました。それは本末転倒なお言葉です。すし屋に入って「魚は生臭いから嫌い」という方は居ないですよね。そういう方はすし屋には行かないものですし、ましてや板前にそんな言葉は発しないでしょう。ものすごく腹が立ったものです。礼儀も何もあったもんじゃない。オリーブオイルに対してもそうでした。個人の好みは尊重しますが、店の存在そのものを否定するような発言だけは、やめていただきたいですね。

 その後のイタリア料理ブームで、そうした偏見も薄らいでいったのは有り難かったですね。

 あの頃、第一次湾岸戦争が始まったのです。店を始めた当初は、圧倒的に外国人のお客様ばかりでした。知らないで入ってこられた日本人は「ギョッ」とした顔をされるほどでした。当事者の湾岸のアラブ人、イラク人、アメリカ人、イスラエル人などの国籍の人が同じ店でご飯を食べていたのです。すごい話しですよねえ。あの頃は、アラブ料理店もイスラエル料理店もなかったからなんです。トルコ料理店は何軒かありました。

 そんなカルタゴの客層がガラリと変わったのは、当時、最盛期だった「H・・・・・」という雑誌で紹介されてからです。全てはあそこから変わりました。若い女性のお客様が圧倒的に増えていきました。と同時に、それまでのお客様が入れなくなっていったのです。あの取材を受けた事を、今でも後悔しています。

 飲食店は混めばいいというものではありません。どんなにお客が入っていても、潰れる店があるのです。大事なのは、店を育ててくれるお客様がどれくらい居るかということです。しっかり食事を楽しんで、客単価が高いお客様を失い、ブームでツマミ食いする、一度きりのお客様で混乱していきました。

 悪い事ばかりではなかったのは、そうしたお客様の中でもリピーターの方々が居た事です。上記に書いた「臭いから嫌い」というお客様の中からも「あら、美味しいじゃない」とファンになってくださった方がいらしたことです。これ、料理人冥利につきますよね。

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