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2006年7月29日 (土)

横浜の話

横浜は僕にとって青春の場所です。港の見える丘公園、山手公園、近くの女学院に通うガールフレンドが居たので、頻繁に遊びに行きました。本牧埠頭のバー、中華街、元町、外人墓地、馬車道通り、ユーミンの曲で有名になったドルフィン・・・あげればキリがありません。最初に海外に飛び出したのも大桟橋から船に乗ってでした。

そんな横浜の歴史を紹介する番組がNHKで放送されました。びっくりMfwmapserv したのは関内とか埋め立てだったということです。横浜ネタでJRの車内アナウンス「次は~かんない」「次はすぎた~」<おい

脱線しました。こうした歴史は面白いですねえ。ネット上のある所でこの話をしたら、そこにいらした方が素敵な本を紹介してくれました。

http://blog.goo.ne.jp/coty1916/e/8cd3ae8dc701647fb273a90c07cd7082

ある都市のれきし-横浜330年-(福音館書店)です。思わず買ってしまいました。この本は、いわゆる子供向けの児童文庫ですが、内容は大人も唸るものです。横浜好きの人は是非買ってください。

Dscn2580 1656年(江戸時代・明歴2年)の横浜です。横浜は細長い砂州に囲まれた入り江だったんです。この砂州の付け根が横浜村。横に長い浜からの地名です。この入り江がDscn2581 1854年(江戸時代・安政元年)には埋め立てがすすんでいるんです。200年の間に!この頃、ペリーが来航しました。砂州の付け根に埋め立てられた新田があります。横浜を知っている人はピーンと来たと思いますが、これ中華街になるんです。あそこだけ周囲の碁盤の目と違うのは、この新田の畦道をそのまま使ったからなんです。

Dscn2583 それから、たった38年後、1892年(明治25年)には街の形が出来ているんです。日本最初の鉄道、新橋-横浜間の横浜駅(現在の京浜東北線・桜木町駅)も出来ています。Dscn2579

そして現在!この本の素晴らしいところは俯瞰図が同じ視点で描かれているところです。横浜がどれほど変わったのかを知るにはうってつけの本ですねえ。

横浜スタジアムの場所。入り江から埋め立て後、江戸時代には遊郭になって、明治にはクリケット場になります。そして昭和に入ると野球場になるんです。昔からオヤジの集まるところだったというオチで、今回の話は終わりです。

2006年7月23日 (日)

美味!パレスチナの味

Dscn2546 なんとパレスチナのタイベビールが新入荷!数がないことと、元々高いビールなので、カルタゴ売りで800円です。このビールは、パレスチナのキリスト教徒が作ったものです。ゴールデンとダークがあります。

タイベとは村の名前で、エルサレム郊外、地中海やヨルダン渓谷を望む高台にあります。聖書にエフライムという名前で登場し、イエスキリスト最後の隠遁の地として知られています。12世紀頃、イスラム指導者サラディンが村人をタイベン(善良な人々の意)と呼び、現在の名前に変わりました。

ビール自体の歴史は新しく、1994年にタイベ村のコウリー家が作り始めました。ババリア産のホップ、ベルギー産の麦芽など最高級の素材を贅沢に使い、地元、サマリア山を源泉とする聖地の湧水で醸した上面発酵ビールです。飲み口はスッキリして咽越しも良く、美味しいビールです。

ビールと同じくして入ってきたのが、パレスチナのザータル(タイムの一種)。アラブ人が朝食でパンにつけDscn2548a て食べるミックスハーブです。殺菌力があり、抗がん性を持つとされ、記憶力も助けると、現地では試験前にも食べるそうです。パレスチナのオリーブオイルとクリームチーズ(またはヨーグルト)と混ぜながらパンで食べると、爽やかな香りが広がります。パン付きで400円です。オリーブオイルは戦火で存続の危機に瀕しているオリーブの木から採ったもの。樹齢千年以上と言われています。オリーブの樹木は人間の愚かさを嘆いているのかもしれません。

歴史あるパレスチナの味を是非、ご賞味ください。そして、かの地に平和が訪れることを祈ってください。

2006年7月14日 (金)

カルタゴ・ストーリー-2

File0001a オープンして間もない頃のお店の入り口です。現在を知ってる方は驚くと思いますが、営業しながら僕が内装を作っていたんです。写真は今でも大事なお客様のナオムさんとミカエル!彼は高校生になりました!!File0002a

奥の部屋はこんな感じでした。この頃はベリーダンスもしていました。従業員もたくさんいたのです。従業員たちと社員旅行で南の島にも行ったのです。今、思うとバブリーですね(笑)File0004a

File0003a そんなカルタゴが落ち着いてきたのは、僕がチュニジアとパリFile0006a を再訪してからです。チュニジアでは、友人のカメルの家で彼のママから料理を教わりました。パリではトルコレストランで色々勉強しました。エズメサラタスという今でも人気のメニューは、このレストランで学んだものです。File0007a

若いというのは無謀なものですね。こうして昔の写真を見ると、色々と、がむしゃらに頑張って居た事を思い出します。

ひとつひとつの経験が身になるかは、その人のキャパ次第だと思うのです。何を求めているかという事ですね。今回は「思い出の写真集」(笑)でした。

2006年7月 7日 (金)

カルタゴ・ストーリー-1

 <珍しいシェフの毒舌&本音を聞いてください>

 7月7日は七夕ですが、僕にとってはもうひとつの記念日です。カルタゴが16年前にオープンした日なんです。17年目に突入です!自分には子供が居ないので、店を子供のように思ってきました。もう、親離れする頃かもしれませんね。35歳で始めて、当然ながら52歳になったんです。感慨ひとしお・・・・

 カルタゴがオープンした1990年はバブルも終わろうとする頃でした。世の中が何か騒然とした感じだったんです。こんな特殊な料理なので、最初は日本人の方々に理解されないと思っていました。外にも看板にも日本語がありませんでした。それを理解される方がお客様になると思ったのです。

 今では信じられないのですが、オリーブオイルや羊肉への偏見と言葉が、公然とまかり通っていました。ご予約の電話をくださった方が「羊肉が中心なの?臭いから嫌い」とよく言われました。それは本末転倒なお言葉です。すし屋に入って「魚は生臭いから嫌い」という方は居ないですよね。そういう方はすし屋には行かないものですし、ましてや板前にそんな言葉は発しないでしょう。ものすごく腹が立ったものです。礼儀も何もあったもんじゃない。オリーブオイルに対してもそうでした。個人の好みは尊重しますが、店の存在そのものを否定するような発言だけは、やめていただきたいですね。

 その後のイタリア料理ブームで、そうした偏見も薄らいでいったのは有り難かったですね。

 あの頃、第一次湾岸戦争が始まったのです。店を始めた当初は、圧倒的に外国人のお客様ばかりでした。知らないで入ってこられた日本人は「ギョッ」とした顔をされるほどでした。当事者の湾岸のアラブ人、イラク人、アメリカ人、イスラエル人などの国籍の人が同じ店でご飯を食べていたのです。すごい話しですよねえ。あの頃は、アラブ料理店もイスラエル料理店もなかったからなんです。トルコ料理店は何軒かありました。

 そんなカルタゴの客層がガラリと変わったのは、当時、最盛期だった「H・・・・・」という雑誌で紹介されてからです。全てはあそこから変わりました。若い女性のお客様が圧倒的に増えていきました。と同時に、それまでのお客様が入れなくなっていったのです。あの取材を受けた事を、今でも後悔しています。

 飲食店は混めばいいというものではありません。どんなにお客が入っていても、潰れる店があるのです。大事なのは、店を育ててくれるお客様がどれくらい居るかということです。しっかり食事を楽しんで、客単価が高いお客様を失い、ブームでツマミ食いする、一度きりのお客様で混乱していきました。

 悪い事ばかりではなかったのは、そうしたお客様の中でもリピーターの方々が居た事です。上記に書いた「臭いから嫌い」というお客様の中からも「あら、美味しいじゃない」とファンになってくださった方がいらしたことです。これ、料理人冥利につきますよね。

2006年7月 5日 (水)

運転会

『鉄道模型ミーティング』 主催:アマチュア鉄道模型連絡会
  日時:7/17(月・祝) 09:00~18:00 公開運転(準備時間も含む)
  会場:川崎市産業振興会館  4F企画展示場
   (川崎市幸区堀川町66-20 JR川崎駅北口徒歩8分)Guide_map_1

 上記の日、久しぶりに公開運転会をします。昨年の12月に三軒茶屋・キャロットタワーでも公開した東急・玉電のモジュールです。Dscn1522a 玉電がなくなって40年近くになります。現役時代を知ってる人も少なくなってきました。

 渋谷で遊んでいる子達、想像も出来ないだろうなあ。道玄坂の上から電車が飛び出して道路上を走っていたなんて・・・Dscn1627

Dscn1623  僕が作ったのは三軒茶屋と二子玉川の部分です。子供の頃、一度訪れたのに自由にならず・・・・中学の修学旅行の自由時間に再訪した時は、廃止のひと月後、あの時の悔しさは、今でも忘れません。修学旅行用に買ったカメラを持って、ウキウキと出かけたのに・・・

 玉電の最初の思い出は、仲間には何度も話したのですが、小学低学年の時、母と同僚の成田先生が、引率した修学旅行の東京土産に買ってきてくれたプラモデルが最初です。デハ200、通称ペコちゃんのプラモデルでした。それ以来、ペコちゃんに憧れ続けてきたのです。Dscn2519 廃線跡が悲しい気持ちになって嫌いになったのは、あの時の事がトラウマになっているからなのかもしれません。

 12月から半年。なんとか手を入れて少し進化したものをお見せしようと突貫工事中です。お時間がありましたら、是非、お越しをお待ちしております。

2006年7月 2日 (日)

フランスの大活躍!

日本が敗退してがっかりした日々を送っていた僕を元気付けてくれたのが、フランスの活躍です。予選ラウンドの状態から、だれがこの結果を想像したでしょう。スイスとも韓国とも引き分けて、トーゴに勝って、かろうじて2位通過したフランス。今ひとつパッとしないサッカーで、2002年の悪夢を思い出させるような状態でした。

そのフランスが決勝ラウンドのスペイン戦。今回が最後のジダンが目覚めました。今までと違う動き、全盛期とまではいかないまでも、目まぐるしい活躍でした。後半ロスタイムでスペインにトドメとなったシュートは、惚れ惚れするものです。Dscn2511 スペインのDFをかわし、ゴールにほぼ平行に走って回転しながら、キーパーと逆の左サイドにシュ~~~~ト~~~Dscn2512 素晴らしいファンタスティックなゴールでした。

試合後にアンリと抱き合う姿に、思わず涙してしまいました。Dscn2510

ジダンが機能してアンリを上手く使えれば、フランスに勝機はあると断言してきました。そして今朝方のブラジル戦!!

ブラジルのフォーメーションがいつもと違い、しかもそれがうまく機能していなかったのにも救われましたし、今まで裏を取ろうとして走るアンリが、オフサイドを繰り返してたのに、ブラジル戦は少しずつタイミングが合っていたのです。後半5分、幻に終わったアンリのシュート、あれはオフサイドではありませんでした。ああと思ったその7分後!やってくれました。ジダンのフリーキックのボールを、アンリが見事に右足で押し込んだのです。ブラジルのオフサイドだという抗議。確かにアンリの前の選手は、そうかもしれないけど、アンリはジダンが蹴った後に、しっかりDFの後ろから走りこんだんです。Dscn2513

Dscn2514 もう後半は画面がぼやけて見えるほど・・・守ってくれ~そしてロスタイムを終えて試合終了!「やった~」と飲んでいたビールをひっくり返したほどの歓喜!

ベスト4、ドイツ、イタリア、ポルトガル、フランス

おい!ヨーロッパばっかりじゃん。最初はパッとしなかったドイツも調子を上げてるし(練習試合の日本が目をさまさせた?)やはり、地元開催の利があるよなあ。フランスはポルトガルに対して強いけど、監督が元優勝国ブラジルを率い、ワールドカップ15連勝中のスコラーリ監督だし、全く予断を許さない試合です。クリスティアーノ・ロナウドとアンリの対決です!ロナウドはイングランド戦ではパッとしなかったから、今度は頑張るかも・・・

※画像はNHK・BS1の放送をデジカメで撮って、フォトショップで解説風に処理しました(笑)

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